”常識”とは?
こんにちは!
みどりんです。
みなさま、突然ですが、
「常識ってなんですか?」
以前、ある人に
「お前は、常識がない」
と言われたことがあって、
それが、ずっと頭に残っているのです。
その時の状況は、
その人が自分を叱ってくれていたときで、
自分を思って言ってくれていることも、
わかっているけれども、
そこまで、全否定されることなのかなと
じばらくもやもやしてました。
そこで、今日は、
”常識”について考えたいと思います。
まず、意味を調べてみました。
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。(Oxford Languages)
健全な一般人とはなにか?
普通の知識とはなんなのか?
やっぱり納得しないなと。
常識(じょうしき)は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。(Wikipedia)
つまり、ある社会を構成する上で当たり前のこと。したがって、社会が変われば、常識は変化するということになります。
そしてそれは、価値観、知識、判断力という、人それぞれ違うもので、構成されるものであるということです。
であるならば、常識という定義は、人により多少のばらつきを含むものであり、
「非常識だ」という指摘は、その人の全否定ではなく、
もやもやする必要がないということになります。
では、なぜ、常識があるのでしょうか?
まず、日本で暮らす日本人にとっての常識をいくつか例示してみます。
・朝の挨拶は「おはようございます」
・人は二足歩行をする
・朝食はごはんとみそ汁
・玄関でくつを脱ぐ
まとめると、
・大多数を占めること
・昔から行われている
これらの特徴がありそうです。
常識があることで、
朝は、おはようからコミュニケ―ションを開始すればスムーズだし、
お宅を訪問したときに「玄関で靴を脱ぎますか」ということを訪ねなくてもよくなる。
社会生活を円滑にするのに非常に役に立つことがわかります。
また、人間は集団と同じであることに心地よさを覚える生き物であり、常識という共通の価値観があることで、簡単に集団と同じという目標を達成できます。
このように、社会生活を営む上で常識は必要で役に立つことがわかります。
一方で、常識のデメリットとして、
自分たちが大多数であるため、それが正しいと錯覚し、少数を批判し排除しようとする点が挙げられます。
多くの人の価値観が集まり大多数になったことで、常識となっただけで、実態は、ひとりひとりの価値観であり、どれが正しいとか間違っているとかはなく、すべて尊重されるべきものである。また、昔から行われていることだから常識となっただけで、それがこれからも未来にわたって正しいという確証はどこにもないのである。
だからこそ、常識であるという結論だけで、思考を停止するのではなく、多様な価値観を認めつつ、お互いに気持ちのいい社会を構築するために努力していくことが求められているのではないだろうか。